焼肉飛天龍

当店のこだわりAbout pride

肉はもちろん一品料理にも一切の妥協を許さず、徹底的な味付けにこだわりつづける焼肉飛天龍。そのこだわりのDNAをご紹介します。

こだわりの“能登牛”

能登牛とは

 生産頭数が少なく、「幻のブランド牛」と言われています。肉質はきめ細やかで、噛んだ瞬間に上品な脂が口の中に溢れ出します。 一番の特長は、肉の旨味成分である「オレイン酸」。オレイン酸は、その値が高いほどトロけるような触感につながります。能登牛は、和牛のオリンピックと呼ばれる「全国和牛能力共進会」で、オレイン酸の含有率の高さなどが評価され、「特別賞」の栄誉に輝きました。

能登牛

能登豚とは

 能登半島の自然豊かな土地で育った「能登豚」。1980年代から飼料の改良、飼育環境の整備など、創意工夫を重ねてブランド化に成功しました。肉質がモチモチしているのが特長で、噛めば噛むほど肉汁が広がります。

能登豚

焼肉飛天龍
“金沢のイキなおもてなし”

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能登牛を質を落とさないこだわり。
能登の牧場より直送で仕入れています。
お客様に「ご馳走」をお届けしたいと考えています。

※ご馳走の意味

「馳走」とは、本来「走り回る」という意味の言葉でした。 大切な客人を迎える時に、その準備のため、おもてなしの品々を集めるため馬を走らせて方々へ出向き、物品を調達していました。その様子から、「馳走」と言う言葉に「もてなし」の意味が含まれるようになり、さらに丁寧語の「ご馳走」という、贅沢で豪華な料理を意味する言葉となったようです。

能登牛の直送

意気[iki]

肉の味を最大限に引き出すために、極上の秘伝のタレを揉み込んでいます。手間を惜しまずひとつひとつ見えないところでこだわっています。

熟練の『手切り』

肉には個体により大きさはもちろん筋の入りかたや、脂ののり具合が違います。その為、肉を切る際の包丁を入れる角度や、コンマ数ミリの厚さの違いで肉の見た目や柔らかさに歴然とした差が生じます。それを確実に見極める『手切り』にこだわります。

能登牛の直送
能登牛の直送

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お店でお客様のおいしいと喜んでいただいた笑顔のために、私達は日々、お肉と向かって最高の焼肉をお客様に提供できるよう励んでいます。そのお客様に笑顔で向き合いたいという思いの息が伝わる「息」を作りたいと思います。

熟練の『手切り』

肉には個体により大きさはもちろん筋の入りかたや、脂ののり具合が違います。その為、肉を切る際の包丁を入れる角度や、コンマ数ミリの厚さの違いで肉の見た目や柔らかさに歴然とした差が生じます。それを確実に見極める『手切り』にこだわります。

三兄弟の意気

飛天龍の”軌跡”

焼肉飛天龍

金沢に焼肉文化を根付かせた、飛天龍の初代店主:坂下敏治。
昭和22年に石川県能登町小木漁港の近くに生まれ、10代の頃から、料理の道ひとすじにやってきました。

先代

19歳で上京。21歳で料理長に。

昭和41年 横浜伊勢崎町「食道園」で見習い
昭和43年 池袋「松濤園」で料理長となり、弁当を1日最高1300個売った。
昭和45年 五反田「天龍」で料理長を務める。1日5万円の売上を1日20万円の繁盛店に。
昭和48年 麻布十番「天龍」の料理長で務める。漬物やタレを一から作り直し、経営を立て直す。程なくして電話予約必須の店となる。他の店に先駆け、「食後のアイスクリームサービス」を提供し始める。「本物のコムタンを作ろう」とスープの開発に日夜励む。
昭和50年 麻布十番「飛天龍」で料理長を務める。月間売上1000万円を達成する。
昭和53年3月 金沢市新神田に「焼肉 飛天龍」を開店。
おもてなしの心から金沢の地に「食後のアイスサービス」の習慣を根付かせる。
平成28年 さらに上質な牛を求め、能登牛の取り扱いを開始。
平成31年1月 「能登牛認定店」となる。

三兄弟が受け継ぐ伝統とこれから

焼肉兄弟

頑固おやじがこだわった味を、
息子の三兄弟がこれからも
受け継いでゆきます。
進化し続ける「飛天龍」を
よろしくお願いします。

焼肉兄弟

初代店主「坂下敏治」から味を受け継ぐ3兄弟は、原点から学ぶために牧場に視察したりして、これからの時代に合わせた進化を探っています。 昨今の厳しい社会状況の中でも力を合わせて頑張っています。

焼肉兄弟

~焼肉三兄弟の年表~

令和2年春 弁当のテイクアウトサービスを始める。
令和2年9月 店内の大改装に踏み切る。
掘りごたつ席の設置。
令和3年春 自社ホームページ開設

我ら3兄弟が
皆様のお越しを
お待ちしております。

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